前回までの駅からすぐのBourg地区は比較的近代的で立派な建物でしたが、Sierreの街の地図をよくよく見ると、小さな家が密集している部分が点在しています(赤の線を引いた地名)。例えばBourgのすぐ先、地図の右端のGlarey、車道を渡って北側に入った所。
GlareyからGuillamoにかけての拡大図。緩やかな斜面上の細道に家が隣り合ってる、となると、それは昔からの集落であることが多いです。
出だしから、木の壁のいい感じの家々が連なっています。
ここからは12月後半に再訪した際の写真がメイン。晴れなれど雪が積もった跡。これらの建物は、
Sierreの南側に伸びるVal Anniviersという細い谷の先の山岳地の人達が、
年に2回、Sierre市内のブドウ畑などに数か月働きに来た際に住んでいた家々なのです!(というのか?)先のSierre市内でも山間地によくあるタイプの木造建物。
Glareyはちょうどローヌ川&ローヌ谷の南側からやってくるAnniviers谷の人達がSierreに入る際、一番近い入り口にあり、またローヌ川の上流(東側)からの人達がSierreまで下ってきて合流する最初の場所でもありました。
Anniviers谷の人達は、AnniviersとSierre市内の二か所に家を所有しており、Sierreでも山間地でよく見られる木造の家を建てました。
Glareyから少し行った所にブドウ畑。これらのブドウ畑の世話が忙しい春先と秋の収穫期の二度、谷から下りてきていました。この移動形態は一般にはTranshumanceと呼ぶのですが、Anniviers谷の人達のSierreへの移動を特にRemuageと呼びます。
GlareyからGuillamoと歩いてBorzuat。
細道の両側に古そうな家。家の奥にも車道に面していない家々。
これらの家々は、決してお金がないから新しく改装してないわけではないです。高~い車が停まってましたから。
Anniviers谷からの人達は家族総出で移動し、それに伴い学校&先生、教会&牧師も山間部からSierreに移動しました。村が丸ごと空になってたそうです。
Sierre駅そばに学校建物。現在は図書館になってるようです。
上の写真では左側の壁。Ecole Municipale(学校)の表示の両側のフクロウの絵がかわいいというか威厳があるというか。古代エジプトの絵に出てきそう。
写真と歩行は2024年11月中旬と12月下旬
Sierreの観光サイトから、Remuageとその地区:
https://www.sierretourisme.ch/en/Z17674/remuage-and-its-districts
向かいのVal d’Anniviersの観光サイトからRemuageの人々について:
https://www.valdanniviers.ch/en/Z15357/migration
博物館Maison du RemuageはSierreの南にあるVal d’Anniviersにあります: