Far west de Genève(4)自由への逃走路

赤の矢印、緑で描かれた道の角がLes Plantons。ここからちょっと下りると別の国境石につくらしい。赤の点は国境石。

国境線を離れ、森の合間の草原から再び森の中に入り、小道を上ります。この辺りから道がひたすらぬかるんでいた!雨上がりではあるものの、そこまでの雨量だったとは思えないのに足を取られる状況。泥泥がひどい所では脇に踏み跡の道が出来ていたので、乾燥が続く夏以外は恒常的にぬかるんいるのかも。

登り切った先に、Les Plantons (Frontiere)標高415m。本日2回目のフランスのハイキング表示板。地図上、赤の矢印を付けた所。

舗装路のすぐそば、右側がフランス、左側がスイスとなります。

SとGの国境石は前述のとおり、サヴォアとジュネーブの間の境。

「Via Huguenots ユグノーの道」の案内板。宗教改革の後、1530年代よりジュネーブはプロテスタントの牙城となり1536年にはサヴォア侯国から独立、カルヴァンなどによる神権政治が行われます(これはこれで強権恐怖政治)。1602年には攻めてきたサヴォア軍を撃退、今日までEscaladeとしてジュネーブの12月の風物詩的祭り。一方フランスでは1685年にルイ14世がプロテスタント教徒を認めたナントの勅令を破棄、弾圧された15万人とも数えられるプロテスタント教徒(ユグノー)がフランスから周辺国に亡命します。うち8万人がスイス(当時は今の形態じゃないけど)を経由してドイツやオランダに向かいます。職人が多かったユグノーが高度な技術を持ち込んでくれたおかげでジュネーブをはじめとする現在のスイス西部で時計や機械産業が栄え、料理改革も!ありがたい。彼らユグノー達の足跡をたどるVia Hugnenotsは、ここからドイツ国境のシャウエッセン州まで続いています。via-huguenots.ch

また、Transfrontalier(国境をまたいだ)ハイキング道案内。私が今日たどった経路とは少し違いますが、Chancy Douane(国境検問所)からRhone川沿いを歩いてBorne No1(一番最初の国境石)、そこからPlantonsに今います。

数メートル離れた所には黄色のスイスのハイキング道表示。

舗装路から少し奥まった所に「国境の階段」があり、降りる階段の手前に国境石。

Rhone depasse les bornes。ローヌ(川)はBorneを超えた。ローヌ川が危険水位を超えた、と危ない内容をかけているかのような看板。ここのサイトもやはり国境線とその歴史について、かなり面白い内容のサイトを運営しています。歴史だけでなく、自然面での内容も。

階段。地図ではオレンジ色の細線で描かれている、南側の国境石へ続く階段じゃないかと思います(未踏)。

そして17世紀のユグノーだけでなく、密輸業者、第二次世界大戦中にはユダヤ人など多くの避難民が、検問がある主要道ではなく、こうした細道を夜間に命がけで通ってフランスから逃げてきたのでした。

歩行と写真は2024年5月上旬

Via Huguenots:

https://www.via-huguenots.ch/fr

Sur le sentier des douanes(国境線の道)

https://pays-du-vuache.fr/patrimoine-transfrontalier

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