長らく続いてきたVia Francigena、今回でひとまず終了です。
今回の写真は全て、2013年7月中旬に歩いた時のもの。雪がたっぷり残っているのと、平日の夕方だからか人も車も少なくて別世界のよう。この年は春が遅かった。
スイスでの「通り」の名前は、地元の著名人の名や教会・学校・駅などの建物の名前に加えて、その通りが行きつく先の地名が付いていることが多いです。すぐ隣の町のこともあるし、ずっと遠くの地名のこともあり。
例えば日本で言えば中山道の上に下諏訪宿と塩尻宿がありますが、塩尻宿に下諏訪通りがあるかもしれないし、もっとずっと先の終着地・日本橋通りがあるような感じ。だいぶイメージが違いますが。そして今回通った市町村の実に多くでSt-Bernard通りがありました。ずっと手前の町でも。
”Via”道シリーズはVia Gottardo、Via Sbrinz、Via Splugen、Via Albulaなど歩いてきましたが、Francigenaは格別に今では住宅地となったような場所も多く通り、交通の便も良く歩き易いです。
出だしのフランスとの国境近くが標高1000mちょっとでその後は大方1000m以下の地を歩き、最後のグラン・サン・ベルナール峠が2400m。峠へのバス便が始まるのは6月中旬以降秋口までですが、その期間の標高1000m以下はそれなりに、いや時にはものすごく暑いので、通しで歩くのにはそれなりの覚悟が必要です。
Via○○の道の多くは如何に楽に安全に通り抜けようとした(徒歩で、馬やラバの背に乗って、馬車で)道であり、なるべく上り下りが無いように、険しい道を避けた道です。だから歩き易いのです!
もっとも現在のハイキングルート設定に当たっては、眺めの良い、例えばブドウ畑などを通ってくれたりはします。だから歩いててキレイな景色をも見せてくれます。
とは言え眺めのための遊歩道ではなく通り抜けの道なので眺めが第一の道ではなく、長い単調な「普通」の景色の中を歩くこともあります。そこがロープウェーや登山列車に乗った先の絶景ハイクとはちょっと違うところです。こうした道が日本にも増えてほしい。そして私は歩きに行きたい。
また、話が変わりますが日本の登山文化の中には山のてっぺんを目指す、宗教登山の意味合いが強く存在すると思います。ひたすら登る、辛ければ辛いほど御利益が有る思想。それともかなり違いますね。
さて、先日観た映画は1800年代前半のイタリアが舞台。孤児院での話で、映画の最後に1800年のナポレオンの軍隊の侵攻により、実に多くの子供らが親を失った、との字幕が出ました。
「ナポレオンがここを通りました、泊まりました」とあると「おぉー」となりますが、彼はスイスと後に呼ばれる土地には単なる通り道以上の興味が無かったので通り過ぎただけでしたが(多分)、侵攻先では数々の戦闘があったわけで・・・そしてナポレオン失脚後のウィーン会議において現在のおおよそのスイスの国の形、国境線が決まったというその先の歴史。
次回からしばらく国境をまたいだハイキングコース、ジュネーブの西、フランスとの国境線上を歩きます。ジュネーブとサヴォアとの境界もまたウィーン会議と密接に関わっている!その後で途中で行きそびれたSt-Maurice(サン・モーリス)とグラン・サン・ベルナール峠の両修道院の見学記が書けるかな。
写真は2013年7月中旬