Via Francigena (89) Sembrancher

駅からSembrancherの昔からの町の中心(地図では右側の建物が密集している部分)を通るのだが、寂れている感はぬぐえない。よくありがちなことだが、車社会の現代では、商圏は古い趣のある建物が残る旧市街ではなく、車道沿い、大きな駐車場を備えた地域に移っている。地図左上の大きな建物が目立つ地域で、スーパーMIGROSの大型店舗、Valais州のパン屋チェーンMichellot、レストランなどもその辺りにある。日本で見られるシャッター通り問題はスイスでも同様。

と、最初にマイナスなイメージを書いてしまいましたが通る分には趣がある、旧市街を通ります。

左の建物の壁に「Sentier des Mines(鉱山を巡る散歩道)」の案内板。

Sembrancherの北側、我々がMartignyから迂回してきた山塊Mont-Cheminでは小規模ながらスイスでは貴重な鉱物を採掘していて(過去)、SembrancherやBovernierは麓の村。

現在はミネラルウォーターSembrancherの生産があります。

教会の前の広場で昼休憩。教会近くにカフェレストランがあるけど、平日でも午前中しか開いてませんね。ここを通ったのは13時過ぎで閉まってました・・・

古くて歴史ありありなのだが・・・日曜日の訪問だったこともあるけれど、本当に人っ子一人いないかのような静けさでした。

こちらはMaison Fabri。15世紀半ばの領主の家。後に裁判所として使われていました。

現在は役場のようですが、昔の学校かも。現在の小学校はここではないです。

Martigny-BourgにもあったSousteの建物。1439年以降、グラン・サン・ベルナール峠を経由する馬主はこの建物に積み荷を差し出して一時保管するのが義務付けられていました(そしてきっと幾ばくか払う)。Sousteの特権は輸送路上に住む、有力者に独占的に与えられていました。

Maison de Loës。1564年につくられたゴシック建築の家とあるが、簡素な外観。15,16世紀の貴族Loes氏が住む。

Sembrancherには6000年前から人が住んでいて、新石器時代の墓や青銅器時代の家の跡も。

現在のTribunal du district d’Entremont(地方裁判所)の建物は1365年に建てられ、以前はHopital de Sembrancher、巡礼者の宿でした(写真とは関係ありません)。Sousteの設置など、峠を越える商人たちから通行料を取る特権で潤っていただろう町ですが、車社会の今、商業の中心は道路がある町の外!

5月21日追記:Sembrancherで食事したい、お茶飲みたい場合には、Place de Villageから州道&川方向に出ると車道沿いにホテル&レストランがあります。旧市街中心部からすぐです。

街を出るとそこには線路。大きく迂回してから線路を超え、丘に登ります。Martignyからは線路、道路、そしてDranse川沿いの、山の間の細い隙間を歩いてきましたが、Sembrancherからは鉄道だけでなく、川も分岐し(鉄道が川&谷に沿っているともいえる)、それぞれDranse-Bagne(Le Chableへ行く川)、Dranse-d’Entremontと名前を変えました。ということで、これから我々はいよいよEntremont谷に沿って歩きます。

Ruine de Chateau d’Entremont(アントルモン城の跡)と地図にある所、St-Jean教会に寄ってみました。丘の上です。教会には入れません。城は無く、教会だけが残ってます。

Dranse-d’Entremont川が見下ろせます。城跡の最高地点は標高918m。

そしてEntremont谷。ずーっと行った先はイタリア(随分先だけどね)。

丘から下りてきて、

無事ハイキング道に合流できました。St-Jean教会への寄り道表示が出ています。

写真と歩行は2021年6月

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