Santa Maria Val MüstairでHotel Alpinaに泊まったところ、協賛ホテルだったらしくVal Müstair及びEngiadina Bassa域内の鉄道とバスに乗れる切符がもらえました(2019年)。
ZernezとScuolを結ぶレーティッシュ鉄道と鉄道駅から発着する郵便バスに乗れます。Santa Mariaから東に世界遺産の修道院があるMüstair、国境を越えて終点Malsまでイタリアに入ってからも有効な乗り放題切符。天気が悪かったのでイタリアに日帰りしました。
Malsからの鉄道は切符を買ったのですが、切符の販売機にはドイツ語・イタリア語・英語に加えてラディン語の切り替え表示ボタンがありました。スイスのエンガーディン地方の中でもMüstair谷ではロマンシュ語を母語とする人口が多い地域ですが、南チロルもロマンシュ語の仲間、レト・ロマンス語のラディン語が少ないながらも残っている地域です。
Mals/Malles(ドイツ語/イタリア語)は標高997m。ここからMeran/Merano(325m)まで60㎞弱の鉄道は、1906年の開通から一度は休線して2005年に改装再開。明るい新型車両も軽快に、車窓の両側を一面の果樹畑が広がる中を駆け下ります。
東アルプス山脈の一部でドロミテ山脈を擁するチロル地方はハプスブルク所領ーバイエルン王国ーナポレオンの戦いでイタリア王国ー1814~1918はオーストリア帝国(1867~オーストリア・ハンガリー帝国)と所属を変え、19世紀後期はイタリア統一運動の中「未回収のイタリア」の一部とされました。第一次世界大戦後1919年以降は南側がドイツ語を話す住民が主でありながらイタリアに割譲されました。
ファシスト政権下、また第2次世界大戦後はイタリアの他の地方からの移住も進み、一方この地域の分離運動も活発になり、一時はテロさえも起こり、結果として南チロルとトレンティーノの両県でトレンティーノ=アルト・アディジェ(Trentino Alto Adige)州として特別自治州の地位を獲得、大幅な自治権が与えられました。北イタリアの他の州が稼いだ税収を国に取られてイタリア南部に分配される(これが北イタリアの不満)のに対し、特別自治州なので潤沢な税収をほぼ自分の所で使える、鉄道も復活させることができる!
Meran/Meranoは1420年にInnsbruckに首都が移るまでチロルの首都。かつてはドイツとイタリアの間の交通の要所でした。温泉が湧き、中心部には巨大なスパ施設。観光客や地元民でにぎわってました。オーストリア皇后エリザベト(この方ジュネーブで暗殺されちゃう)お気に入りの町で、街中あちこちでSissiという彼女の愛称が見られます。レストランのメニューにはなるほどグーラシュなどのハンガリー料理名が並び、他のイタリアの観光地でみられる「ピザピザピザ」とは違ってました。
Meranでは今ではドイツ語とイタリア語を母語とする人口の割合がほぼ半々。その先の県都Bozen/Borzanoではイタリア語が7割以上となってます。そういえば、須賀敦子さんの著書で、鉄道員でイタリア人の舅が戦時中ファシスト政権に反対して飛ばされたのがBorzano。当時はイタリア語がほとんど通じず姑は苦労した中で子供を産んで育てた、のような記述がありました。この地方を素朴で質素な山岳地域と描いている個所もありましたが、これも今ではだいぶ違ってるのでしょうね。
オーストリアの右波政権が南チロルの住民にオーストリアの国籍を積極的に提供し(ヨーロッパの国の多くは多重国籍を認めているのでオーストリアとイタリアの両方の国籍を保持できる)、今後の国政に利用しようする動きがあるなど、ちょっとキナ臭い部分もあります。
MalsとMeranを結ぶVinschgerbahnについて
https://www.meranerland.org/en/service/local-public-transport/val-venosta-train/
Meranと近郊の公式観光サイト
https://www.merano-suedtirol.it/en/merano-and-environs.html
写真と訪問は2019年5月