スイスの連邦憲法は「Au nom de Dieu Tout-Puissant 全能の神の名において」で始まります。この「神」は、それぞれが信じる「神」との解釈でいいそうです。さて「無宗教」が増えているとはいえ、カトリック、プロテスタントに加えて他の宗派を含めれば、いまだにスイスに住む人の7割近くがキリスト教を信じていると答えています。大昔からわずか50年前まではず~っとほぼ全員がキリスト教だったというわけで、社会基盤はやはり教会が中心になっていました。
ただし、「信者」にはcroyant =信じている人とpratiquant=実践している人、教会に通っている人があり、現実には教会も大聖堂もクリスマスとイースターなどの時期以外ではガラガラなことが大半のようです。宗教施設ってその性格上、周辺の人口規模を度外視して立派なもの作るんですよね。維持費が大変!壊せないし、そうそう壊れない!
今のスイスの無宗教者の多さには驚くものの(スイス人もびっくりしているが納得もしている模様)、「一昔前」のスイス地域社会は教会とずっと密着していました。高速道路ができて車社会になる前(日本に比べると遅い)、仕事や買い物などの住民の生活が村内で完結していた時代、ほとんど全員が近くの教会に属し、教会の合唱団や吹奏楽団で社会デビューをして、人付き合いを学び、ここが男女の出会いの場でもあったそうです。今は日曜日は多くの人が遊びに行くか午前中寝てるかだからなあ。
どこへ行っても目立つのが高い塔を持った教会です。延々歩いて移動していた時代、こうした尖塔が遠くに見えるとどんなにか安心したことでしょう。教会=人がいるところの目印です。教会のすぐ近くには付属の集会所のようなものがあります。台所などがついていることも多く、今でも合唱団や地域活動の場となっています。日本の公民館のようなものですね。
そしてとい修道院。ここは昔から教育の一端を担っており付属学校はレベルが高いことで知られています。修道院はカトリックですが宗派に関わらず学生を受け入れ(ただし長いこと男のみだったけど今は女も受け入れているようだ)、知人は公立中学校とは比べ物にならない良い教育を受け、公立学校じゃないので授業料を払ったけど、すごく安かったと言います。しかし少なからぬ修道院付属学校が修道士の減少などで閉鎖されていく傾向にあります。また修道女は従来より病院や介護にかかわっていました。今でも修道院付属の病院が残ってますが、こちらも高齢化&縮小が進んでいます。
スイスが直面しているここ数十年の社会の変化、宗教に限っても相当激しいです。日本も変化していますが、少なくとも戦後は仏教や神道はそこまで社会基盤の存在ではなかったのでは。スイスにおいて基本的存在だったキリスト教信仰が急激に薄らいでいます。世代間でもそうだし、一人一人が格段の理由もないのに気が付いたら教会に行かなくなっていたという私の周辺例からの個人的印象ですが。
そういえば数十年前は仕事の際に皆が締めていたネクタイ、いつの間にか銀行勤めや弁護士以外は誰も締めなくなって超ラフな格好で職場に行くようになったそうですが、それと関係あるのかな?社会全体がそんな感じになったのかな?(ということは日本が第二次世界大戦後に国家神道の縛りが外れた際の激変のような変化をスイスが段々に受けるということかしら?)
町や集落に一つはある教会は良いコンサートホールにもなっています。クラシック音楽がほぼ宗教音楽だった頃から、それらの演奏に最良の音響となるように造ったわけですから。バッハはもとよりロマン派や近代の巨匠のほとんどが多くの宗教曲を作曲しています。その宗教色ゆえ日本ではほとんど知られて内曲も多いですが。教会で催される素人・玄人のコンサートに、かろうじて今はお金を払ってでも聞きに来てくれる人がいますが、この先はどうだかな。ヨーロッパでもクラシック音楽のコンサートの観客はどこも老人ばかりだし、この先はいろいろ厳しいな、と思うのであった。