Via Albula / Bernina(8)BergünからPreda-その2

ハイキング道沿線にある赤色の情報板の地図です。白い太線がハイキング路。白い細線二本で描かれているのが線路。そのうち縦線が細かく付いている部分はトンネル部分なので、見えません。
雪が積もってますがFilisur-Bergün間と同日の写真です。Bergün-Prada間は冬期は通行止めの車道が6㎞のそりコースになります。鉄道は冬でも変わらず一時間に一本走ってますので鉄道がリフトの代わりになります。
BergünとPrada間には9の「橋」があります。そのうち3基は谷に沿って、4基は谷をまたいで、2基が山肌に、傾斜に平行にあります。これら9基の橋のお陰で硬い岩を掘って線路を通さずに済みました。トンネルの総延長距離2720m、橋は676m。ハイキング路はらせんやループの横や中を通ります。橋脚の間をくぐり、脇を上り、線路を見上げ、見下ろし、同じループを違う角度から眺めたり、と大変に楽しいです。所要時間2時間とされてますが、列車が通りすぎるのを待ったりしていると時間はどんどん過ぎます。橋の横を上って見下ろす。

Bergün-Preda間の完成には2年を要しました。その時に建設にかかわったのは多くのイタリアからやってきた人たちでした。夏でも4℃の水が大量に湧き出る過酷な現場だったそうです。まず周辺の森で切った木で足場を作ります。橋脚の土台の足場が出来ると、石切り場で切ってきた石材をモルタルを使って積み上げていきます。次には脚と脚をつなぐ部分に移るわけですが、命綱なしで作業していたそうです。何故ここに鉄道を通すことになったのか?19世紀中ごろになると、ヨーロッパの通り道としてのスイスにアルプス越えの鉄道を造れ!との圧力が高まりました。(えっ、他国の領地に?とも思えるけど、その圧力は今もそうは変わってないです)Graubünden州としては自分の州のSplügenあたり(州の南西)を通る鉄道を提案したのですが、1869年、連邦政府はスイスのほぼ中央を通るGotthard(ゴッタルド)にトンネルと鉄道の建設を決めました!計画より予算がかかったので二本目を造る金は無い!ということで、Graubünden州は自分で州の鉄道網を作ることにしました。通り道になるのが目的ではなく、州の谷に点在する村々へのアクセスのための鉄道。ルート変更!1897年Rhaetian Railway発足。(とはいうものの、州予算に加えて連邦政府の予算もたっぷりかかってます)
このGotthardルートに負ける歴史はその130年後にまた繰り返されるのですが(新Gotthardトンネル)それはまた別の話。
ループ地帯を抜け、まっすぐに走る鉄路の横を歩きます。久しぶりの普通の眺め。右手にすぐNazの集落が出てきます。

Preda駅

Predaの駅に着きました。住民は10人だそうですが、1時間に一本列車来ます。駅そばにある白い建物(写真には写っていません)はホテル&レストランで1899年、鉄道建設中に創業した、当時の人々が第二のSt.Moritzに、との夢を込めたホテルです。

https://www.preda-kulm.ch/index.php/home.html

と、ここまでの写真は2013年10月中旬に歩いた時のものですが、2018年8月に再訪したところ、Predaの駅では新Albulaトンネルの掘削工事をしていてご覧の状態でした。ハイキングには支障はないようですし、列車も普通に止まります。

Prada駅(2018年)

Prada駅(2018年)

以前はトイレがホームから少し戻った所の小さな建物にありました(2014年)が、今はわかりません。列車で通り過ぎただけなので。

地図は以下から見られます。

https://map.wanderland.ch/

https://map.schweizmobil.ch/

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