ジュネーブの東側(9)Salève(サレーヴ)山に登る

Salève(サレーヴ)山に登ります。前回から度々視界にドーンと目立っている山で、しばしばBalcon de Genève(ジュネーブのバルコニー)などと呼ばれジュネーブ市民の心の山ですが、実は完全にフランス内の山。登るだけなら2時間ほどですが、今回はVeyrierから歩いて国境を越え、登ります。Sentier de Salèveと名前が付いてるハイキング路で2時間40分。7㎞で上りが780m。ケーブルカーなら5分で上れる山。

出だしは前回のゴール「Veyrier, Pont de Sierne」のバス停。薄紫の太線がフランスとの国境線。この地図で2回、この後もう一回、国境を越えます。提示されているのは緑に赤の丸がついた経路ですが、私は途中から赤の点線のように歩いています。

バス停から、Arve川と反対側の丘、Sierneの集落方向へと上ります。

上ってからバスが走る車道を見下ろしたところ。

サレーヴ山に向かって歩いていきます。歩いたのは前回と前々回の、Gy-ChoulexーPont de Sierneより前の3月上旬。

木々の葉っぱはまだほとんど見えませんね。

道のすぐ横にありました。93番の国境石(国境を示すマーク)。Gとある側はGeneve(ジュネーブ)つまりスイス側で、

反対側にはSの文字、Royaume de SardaigneのSで現在のフランス側となります。1816年に設置されました。

解説板によると、国境線を跨いで広がる畑もあり、現在は何もない国境線も戦争中は鉄条網が渡されてしまったので、鉄条網をくぐって行き来することもあったそうです。またこの後も出てきますが大戦中はフランスから逃れてくるユダヤ人と彼らをかくまう人達の存在があったわけです。Veyrierとフランスとの国境線についてはこちらにたっぷり書かれています。

現在は特に柵もなく、何も変わらないけれど、先ほどの国境石の先からフランス内を歩いています。

フランスのハイキング地名方向表示板はスイスの黄色に対して白。

林を抜けて

真っすぐ歩いた後、

緑の線のように、右へと進んでスイス内に戻るようコースは続いているのですが、私は青の線のように進んでしまいました。濃紫で囲んだのは墓地、Cimetiere Israelite de Veyrier(イスラエル墓地/ユダヤ人墓地)でして、世界で唯一の2つの国にまたがっている墓地。

Google Mapからお借りしました。赤の線が国境線で、青の線のように私は歩きました。赤の線の左側、スイス側には礼拝堂、フランス側には墓石がびっしり並んでます。

私はフランス側で2つに分かれている墓地の間の道を歩いたわけで、この先に見える両側に墓地があります。19世紀後半、ジュネーブのCarougeにあったユダヤ人墓地が満杯になったものの、ジュネーブでは1876年より特定の宗教専用の墓地の新設が禁止されていました(ユダヤ人でも一般の公共墓地に入れるが、彼ら専用の、つまり私有の墓地の新設は不可)。そこで1920年に隣接するフランス側に墓地を新設し、国境を挟んだすぐ隣のスイス側に礼拝堂を建設しました(墓地ではないという建前)。2国間の協定によりどちらの国からもアクセス可能でしたが、第二次世界大戦中、フランスはドイツに占領され、国境の自由往来は禁止されます。2国間の国境を成す通りの壁には鉄条網を設置した際の鉄の支えが今でも残っているそうです。戦中はユダヤ人は見張りをかいくぐり、墓地を通ってフランスからスイスへ逃亡。一方、戦後は逆にスイスから秘密裏に墓地を通ってフランスに入り、地中海の港からパレスチナに建国されたイスラエルへと300~400人のユダヤ人が向かいました。当時のフランス政府は急激に多数の国外避難民がフランス内に戻ると混乱するので帰国を制限していたそうで。

VeyrierとEtrembieresの間の国境をたどる道:

https://zigzag-veyrier-etrembieres.ch/liste-des-etapes/

Veyrierのユダヤ人墓地について:

https://zigzag-veyrier-etrembieres.ch/cimetiere-juif-israelite/

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