Via Salina (2) Saline Royale d’Arc

半円円周の真ん中にある入り口から入ると正面、星印がついたところが管理棟。ちなみに半円の直径は370m。

この写真はちょっと斜めから撮ってますが、真ん中の建物が管理棟。

こちらも派手なパンテオン風の柱の入り口。三角の正面上壁の中央の丸窓から全体を見下ろせたそうです。

両側にシンメトリーな配置。長細い大きな建物はこの施設の存在意義、製塩棟。塩水から水分を蒸発させて塩を結晶化させるための巨大な釜と炉がありました。

塩が超貴重で高価だった時代、働き手が塩を無断で持ち出すのを防ぐため、なるべく人の出入りを減らしたい、塀で囲まれたこの半円形の敷地内に働き手を住まわせて、仕事と生活の全てを塀の中で完結させることを目指しました。

よって製塩のための施設だけでなく、鋳物工場、樽を作るなどの大工仕事工房、その他の生活に関わる職種用の建物と、それらに携わる働き手とその家族が住む住居棟がありました。

現在建物の中は展示スペースや博物館となっていますが、そのうちの一棟ではこのアンサンブルを設計した建築家Claude-Nicolas Ledoux記念館として、彼が手掛けた数々の建物、実現したのも計画だけで終わったのも模型や資料が展示されています。パリを囲んでいた壁には門が20あまりあったのですが、その門をデザインしたのもLedouxでした。

Royaleというからには王立。Ledouxは1774年、亡くなる直前のルイ15世から建築許可を得て、王立製塩所の建設に取り掛かり、1779年から製塩が始まります。しかし1789年の革命でルイ16世は追放され、王政に近かったLedouxも投獄され、釈放された後も蟄居とつらい晩年を過ごします。

1779年から操業を始めた製塩所ですが、フランスでは海水からの製塩技術の向上と鉄道の整備で海沿岸部からの塩輸送が簡単になり、1840年の塩販売の自由化を経て1843年に建物全体が競売にかけられ、1895年には操業停止。116年の稼働期間でした。

建物は貸し出され、1918年には火災に遭い、1926年まだ30家族が住んでいるも翌1927年には馬小屋、難民収容所を~~~1982年よりユネスコ世界遺産登録。

写真と訪問は2022年8月下旬

Saline Royaleの公式サイト

https://www.salineroyale.com/en/

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