Zwingliとは人名。2019年にスイスで公開された映画é、フランス語圏での題名は「Réformateur=改革者」でドイツのルターから2年、スイスで宗教改革を始めた人。スイスでは州ごとに休日が違う!何で?それはその州が新旧どちらのキリスト教(カトリックかプロテスタントか)をオフィシャルの宗教としている(していた)かによるからです。
Zwingliが登場した500年前は今よりもっと寄り合いだった、今はスイスという「国」が分裂する瀬戸際にあった頃の歴史映画です。Zwingliその他の登場人物や出来事は歴史にかなり忠実に映画化されてますので、あらすじを書いてもネタバレとはならないですよね?ちなみに私はクリスチャンではないのでカトリック・プロテスタントどちらかに肩入れしているわけではありません。
さて時は1519年(つまり映画が公開された2019年のちょうど500年前)、チューリッヒのGrössmunster(大聖堂)にZwingliが在俗司祭としてやってきます。Zwingliは現在のスイス東部のToggenburgの富農に生まれ、ベルン、バーゼル、ウィーンに学ぶという当時としては恵まれた境遇でしたが、戦場に付き添う戦場司祭を経て(兵士の臨終をみとる)戦いの過酷さを体験していました。
そう、この当時のスイスの主要輸出品は「傭兵」。地方の有力者がスイス外の勢力に土地の職なしの男子を傭兵として供出していました。そして同じスイス人(スイスという概念ではなく「連邦体」ですが)同士が知らない主のために戦場で戦うという悲劇がしばしば起きていました。
画面変わってチューリッヒの教会内。未亡人Annaが自分には意味の分からないラテン語かなにかで祈っています。そばには神父らしき人が、もっと献金しなけりゃお前の亡き夫の魂が地獄に落ちるぞ~と脅しています。養う3人もの子供がいるというのに・・・
チューリッヒの道端の物乞いと教会関係者のきらびやかで豪勢な金糸がほどこされた赤や白の衣装が対比されます。
早速の新任Zwingliの説教。まずラテン語で語ってから聴衆に向かい、この中で私の言っていることが分かる人はいますか?---(皆無)---これから私は(スイス)ドイツ語で私が聖書をどう解釈したかご説明しましょう!斬新な提案にざわつく聴衆。当時の説教は教育を受けた聖職者が自分たちにしかわからないラテン語だかギリシャ語で行っていました(まったくもって意味ないじゃん)。市長らが寄ってくる。そして教会にやってきたAnnaに亡き夫にお金払って祈る必要はありません、とZwingliとAnna(子持ちの未亡人)出会いです。
Zwingliのところにバーゼルでの学友が訪ねてきます。ギリシャ語でしか書かれていなかった聖書をドイツ語に訳そう!
ヨーロッパをペストが襲い(おおパンデミック)チューリッヒの路地にも病人、死人が放置され、他の教会関係者が我先に逃げ去る中Zwingliは残って病人の手当てをし、本人も罹患します。病床のZwingliを看病するAnna。チューリッヒでは人口の3分の1がペストに倒れるも豪華な服を着て行進するだけの教会関係者。
病から回復したZwingliは教会のきらびやかな服を脱ぎ、以降は黒の服で通します。そして少し前から勃興した印刷所(グーテンベルク様様)で教会に対する意見書を印刷し、勉強会を始め(まずは識字率から)、教え子を増やしていきます。皆の力を合わせて聖書のドイツ語訳を進め、また断食期間中にソーセージを焼いて食べる場にも居合わせます(肉食禁止とは聖書に書いてないぞ、と)。
この頃のヨーロッパはローマ法王を頂点とする教会勢力が政治に強く介入、というか支配勢力の一つとして幅を利かせており、チューリッヒでも市勢力と争っていました。まあ「神」を出されるとこの当時の人達では従うしかないわけで。しかし市中に病や飢饉が頻発しているというのに、教会勢力(の一部)は贅沢三昧。キリスト教が力を得てから1000年以上。最初は高邁な理想であったはずの宗教も、権力にあると時とともに腐敗しがちであります(宗教改革から500年。現在のスイスではプロテスタントの指導者でも宗教家としての役割に加えてマネージャーとしての側面もあるのでうまくいくと優雅な暮らしが送れますけどね)。
あらすじは次回に続きます。
参考:スイスの2人の宗教改革者(Zwingliとカルバン)(日本語)
映画の予告(1分50秒):ショッキングな場面がありますので苦手な方は見ないほうがいいかもしれません
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