本来はVeyrierの町を通るところ、私は前回書いたようにVeyrierへと曲がる所を見逃し、ずっとフランス側を歩いてから、車の往来の多い幹線道でコースに合流。歩道にも人が多く、探してる余裕はありませんでしたが国境マーク(10㎝くらいの金属製の円形)が道路に埋め込まれているはず。
幹線道路からはTéléphérique(ロープウェー)の看板が示す方向へ歩き、線路を越えます。一応ロープウェー駅に寄って最終便の時刻を確認。夏期には夜遅くまで運行していますが3月上旬はまだまだ早い時間での終了。ロープウェー駅にはトイレあり。
Salève山、近くに来ると縞模様。
フランスのハイキング表示印。一番上の矢印内には青の丸の中にロープウェーのイラスト。この先、ロープウェーの頂上駅まで、このマークが時々出てきます。
Annemasseへと続く線路の脇を歩きます。右手に見える山はPetit(小) Salève。Mont Salève=サレーヴ山には3つの頂があり、標高899mのPetit Salèveはその一つ。
Petit Salèveの北麓にはEtrembièresの町。1892~1932年の間、鉄道”Chemin de fer du Salève”がEtrembières(標高436m位)からPetit Salèveの東側山麓を通ってMonnetier(672m)、さらにGrand Saleveの頂までの5.8㎞を結んで走ってました!EtrembieresとMonnetierの間は現在道路が通っている経路でしょうね。
そしてVeyrier(551m)とMonnetier(672m)までの3.3㎞の急斜面にも1894~1935年までの間、アプト式登山鉄道が走っていました。つまりChemin de fer du SalèveはEtrembieresとVeyrierの2か所からMonnetierまで、Monnetierからは1本になって標高1142mのTreize-Arbresまで走っていました。
木に葉が無いのでジュネーブ側が良く見えます。
前回のCimetiere Israeliteが見えます。道を挟んで墓石がぎっしり並んだ二つの区画。スイス側の区画はとても小さくて分かりにくいですが、あれが礼拝堂かな?と思える建物が一棟見える気がする。
Pas de l’Echelleの辺り。Echelleは梯子。岩に刻まれた階段は14世紀からの歴史的な道で当時より、Saleveの農家がジュネーブに農作物を売りに通ってました。
この先に、写真を撮り忘れましたが枕木のような横長の石がずーっと並んでいる斜面やトンネルの入り口が残っているようです。
麓から1時間弱、Monnetierに入りました。
MonnetierはPetit(小)とGrand(大)Saleveの間にある谷あいの町。VeyrierとEtrembieresとを出発した山岳鉄道はここMonnetierで合流し、更に上に向かっていました。
19世紀のジュネーブ観光の黄金時代に建設された世界で最初の電化アプト式鉄道でしたが(電力はArve川の水力発電)、40年余りしか運行していないのですね。第一次世界大戦で海外観光客が激減したのと、1932年に現在のロープウェー、それに車が通れる道が開通したことが大きいです。
右側にロープウェー。赤と白の線で今は無き山岳鉄道。鉄道はロープウェーより随分と上まで続いていたのですね。前述のPas de l’Echelleの近くの鉄道のトンネルの入り口の他には、23あった橋のうち11基の遺構が残っているそうです。
歩行と写真は2025年3月上旬
Saleveへのアクセス方法:https://www.montsdugenevois.com/en/discover/the-3-monts/saleve/how-to-get-to-the-saleve/
Saleveのロープウェーサイト:
https://www.telepherique-du-saleve.com/en/
ジュネーブの観光サイトから:
https://www.geneve.com/en/attractions/detail/the-mont-saleve-cable-car
SuisseMobileのサイトから、今回のハイキングコースについて:
https://schweizmobil.ch/fr/suisse-a-pied/itineraire-144