Neuchâtel(ヌーシャテル)のハイキング名所と言うとCreux du VansとGorge d’Areuseがツートップかしら。
両方ともNoiraigue駅が起点。Môtiersの町の北側、Boveresseとの間に東西にを流れているのがAreuse川。Motiersから西に行ったSt-Sulpiceの近くにSource de l’Areuseとあり、そこが源泉。鉄道はAreuse川に伴走してNoiraigneの先からはGorge(峡谷)を形成し、Neuchatel湖に注ぎます。
Noiraigueまでは前回お話ししたように、蒸留酒アブサンで地域おこしを狙うフランスからのアブサン街道に含まれている場所で、Noiraigue駅の観光案内所兼売店ではアブサン入りチョコレートなどを売っていました。10年位行ってないので今はどうなっているか不明ですが。
ちなみにNoiraigueはNeuchatel州で3番目に乗降客が多いと聞いたことがあります。1,2位はNeuchatel駅とChaux-de-Fonds駅の2大産業都市で、3位がハイキング起点駅というのはなんだかすごい。
Brevineに行ったのは国境石を見たいという私の個人的な興味から。スイスでよくあるのは、スイスで最果てと思っていた所は隣の世界への入り口で、実は意外に栄えてた(場合によっては過去形)ということ。南北ヨーロッパを縦断する馬車や徒歩道がスイスを通り、今回歩いたVy des Moinesは教会の権力拡大競争がからんだ坊さんの布教活動が発端の道でした(フランスのブルゴーニュとオーベルニュ、2軒の修道院の間の競争)。
以前、お墓の話を書いた時に少し触れたのがBrevineの墓地。スイスの多くの町では人口がどんどん増えて、墓地スペースが足りないので火葬を大々的に推奨し(意識改革大成功)、更には墓地に使用期限を設けるなどしてきたのに対し、Brevineの町営墓地は広くて余裕がありました。100年以上前の、誰も手入れしていないと思われる墓石がそのまま残っている!
Brevineの人口は1880年代の1700人をピークに、この100年余りの間に激減。2023年末は615人でした。私が泊まったのは教会や町役場がある町の中心で、ありがたいことにパン屋が朝早くから営業し、公共トイレもありました(中心のパネルに表示あり)。パン屋はフランス人が経営。しかし暗くなってから、ホテルからパン屋を見ると灯が点いていない。毎日フランスから通ってきているらしい。
住宅、食料など物価が安いフランスに住み、毎日給料の高いスイスに国境を越えて通勤するという、スイスの国境近くの町でよく見られるお馴染みの光景で朝早くからの車の通行量はかなりのモノでした。車の登場以前は周辺地域との行き来で賑わい、文化や思想や物資がもたらされたBrevineなどの国境隣接地域が、現在では単なる通過点になってしまっていることを憂いた地域のメンバーによって「歴史ある道」を整備して残そうという動きが近年多くの場所で見られ、私はその恩恵にあずかり楽しく歩けたわけです。
Neuchatel州には面白い場所がまだまだあるので、そのうちまたご紹介します。何より、この州ではハイキング道の表示板がとてもしっかり付けられているので初心者も安心だと思います。