黄色の表示板や菱形マークが付いている「全国公式」のハイキングルートは国境の手前で右折しているけれど、白いサインポストと白い菱形マークがついている地域ハイキングコースが国境までとそこから東西にのびる国境線上に設置されていて、表示板もしっかりありました。
Brevineの町中から紫の太線、フランスとの国境まで来ました。SuisseMobileの黄色のハイキング表示がある道ではないのですが、白の表示板がある、地域ハイキングコースで、左右どちらにも行けます。
また、柵はあれど横に人用の隙間があるので歩いてフランスの町まで行くコース、前回書いた「Michel Hollardコース」もたどれます。今でこそ、申し訳程度に柵がある、自由に通れる国境ですが、第二次世界大戦時は厳重に監視されてたそうです。
そしてちょっと横を見ると国境表示石!
1819年、上部に国境の線。
文字が彫ってあるかと思いきや、両側とも「O」。実は楕円の中に紋章があるはずですが見られず、ちょっと寂しい。
右(東)側へ、国境線上にある小道を歩きます。左手には柵がありました。
もう一個標識あった!片側は楕円のままだけど、
片側にはこのように赤ペンキで印。赤ペンキが新しめですが。
1814年のウィーン会議でヨーロッパの国境線が改定され、この際にNeuchatel(ヌーシャテル)州はスイス連邦に21番目の州として加入しました。それまではプロイセン王家の飛び地領土。その後、1848年にプロイセン王家に対する革命を起こし、1857年に和解。
、赤と白の「へ」の字型の縞模様は、プロイセン王国の飛び領地だった時代の紋章。革命後はイタリア国旗のような三色旗に白十字がついた現在の紋章に変更。
今までの国境石は全て1819年の刻印でしたが、この55番は
1766年の。しかし、後から知ったので肝心の1766の文字を撮らず・・・残念!そう言われてみれば古そう。
スイス側、当時のNeuchatel州の紋章。2パターンあり。
フランス側はブルボン王家の紋章、ユリの花のはずですが、フランス側の面はどれもほとんど判別できませんでした。一説によると王制への反感から削り取られ、その後修復しなかったとか。
1814年のウィーン条約での国境改定を受け、1819年に多くの新たな国境石が置かれました。
「Le sentier des bornes 国境石をつないで歩くハイキングコース」はこれらの国境石をたどっています。多くが1819年のですが、1766年のも少数ながらあります。
国境から40分くらい歩いたところで切り上げ(雲行きが怪しくなってきたので)。国境線を離れ、草地の中を下りていき、
黄色の印のハイキング道に合流、
Brevineへ。Brevineからの周回コースにしなくても、バスで戻ってくるのも可能。道はまだまだずっと先まで続いていましたが、私は赤点線のように歩き、1時間半くらいで戻りました。
歩行と写真は2024年7月上旬
去年、ジュネーブ州とフランスの境界にある国境石を見つけに歩いた時の連載はこちら:① ② ③ ④ ⑤
Le sentier des bornes(国境コースはここだけでなく、同名の道が沢山あります):
https://www.j3l.ch/fr/V1616/a-faire/sport-loisirs/randonnee/le-sentier-des-bornes