Via Francigena(81)マルチニー旧市街

学校と運動施設などが入った複合施設が囲むParc du Manoirからすぐ、細長い広場がPlace Centrale。

天気が悪くて本当に残念。広場の両側にはレストランが並び、天気の良い日にはテラス席が人で埋まり、夏には生い茂った木々の葉が太陽から少し守ってくれます。

広場に面して市庁舎。1843年建立。

紋章とHotel de Villeの文字が見えます。建物内には市の裁判所も。裁判所の入り口は広場側ではなく、広場から教会へ行く道、

パン屋Zenhausernの向かい側(通りの右側がZenhausern、左側に裁判所入り口)。写真撮りませんでしたが、裁判所側の入り口からすぐ正面にMartignyの歴史を描いたステンドグラスがあります。自動扉なので前に立つと勝手に開きます。Police(ポリス)とあって中に入るのを躊躇してしまいましたが、チラと見えたステンドグラス。入って見学しても大丈夫みたいですね。平日はお昼休み以外の業務時間、土曜日も午前中開いてます。ZenhausernはMartignyから東側、Valais州に店舗があるパン屋グループでイートイン可。コーヒー一杯でも、パン一つでも。

すぐ近くに教会Notre-Dame de la Visitation Parish church。最初の地図の赤矢印。

その正面入り口とは反対側、つまり背中側。

一見すると壁に埋め込まれた何てことない石柱に見えますが、Borne Milliaire。マイルストーン、里程標、一里塚。柱の上部にアルファベットらしきものが刻まれているのがうっすら見えました。ローマ時代、ローマ中心部までの距離とコンスタンチン帝の名が刻まれているそうです。柱を埋め込むように教会の壁をつくったのですね。そういえば大事に屋根で守られている?

教会のはす向かいの建物はMaison du St-Bernard。サン・ベルナールの家。また出たサンベルナール。キリスト教関連の建物ですが、扉の横のパネルには、

「1800年5月17~20日にかけてPremier Consul(第一執政)ナポレオン・ボナパルトがMarengoに向かう途中、この家に泊まった」ナポレオンは現イタリア北部ピエモンテ地方のMarengoで6月13,14日にオーストリア軍と戦いましたが、Martignyを通ってGrand St-Bernard峠経由でイタリアに入ります。この先もナポレオンの痕跡が度々出てきます。ナポレオン本人はともかく、総勢4000人のうち、普通の兵士はどこに泊まったのかしら?Martignyからは地元の知識人が案内人としてAostaまで同行しました。

細い小路を通り、旧市街を抜けます。

Martigny名産?といえばアンズや洋ナシなどからつくるアルコール醸造所Morand。私は蒸留酒が苦手なのでほとんど飲みませんが、アイスなどにちょこっとかけたりして味わうらしい。

歩行と写真は2024年4月初め

Martigny観光サイト:https://www.martigny.com/en/?gt-reset

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